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28.05.2008
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ハッピーハッピー。そして。
本日は妹の誕生日!!!!!
おめでとう!!
おめでとう!!
おめでとううううううううううう!!!!!!!


お金ないんでプレゼントは7月ですが(うおおおい!)愛はたっぷり込められてるお店の手作りケーキでお祝いする(予定)です。
何せまだ家に帰ってきてないので、恐らく皆でケーキつつく時は次の日付に変わってるだろうが気にしない。
ケーキが食べられればいいさ。


5月と言う月は父の誕生日であり、妹の誕生日であり。
父が・・倒れた月でもあります。

今年で4年。
回復する見込みは一向に見えてきませんが、自分が問いかけた言葉に反応してくれる姿を見ていると、「父は今も生きているんだ」と感じられます。
お父さんが倒れたと母に叩き起こされたあの日。
一階に駆け降りてみれば、父がうつ伏せに倒れ、呼吸困難に陥っていた姿は今でも鮮明に、恐ろしいくらい鮮明に思い出せます。
いくら「お父さん!」と呼んでも、イビキをかいて起きようとしません。
・・あの時ほど、イビキの声や、目を覚まさない顔を怖いと思ったことはありませんでした。
体中びっしょりと汗をかき、失禁をし、硬直した身体を、女4人で必死に仰向けに返し。
姉が震える声で救急車を呼び、妹は家に置いてあった酸素マスクを必死に父の口にあてていました。
私は強張る父の耳元で何度も名を呼び、母も何度も名を呼びました。
怖いよ怖いよ。お父さん起きて。
生きてお父さん。と、心の中で叫び続ける頃、救急車が到着しました。
父を救急車に乗せる間に寝間着を着替えても大丈夫だと言われ、妹と共に部屋に戻りました。
その時妹に「お父さん死ぬの?」と、泣きながら問われ、私は抱きしめて「大丈夫、お父さん死なないよ。」と、私だけは泣いちゃいけない。と、必死に涙を堪えて妹を励ましました。
この時、妹はまだ中学3年生で、誰よりもこの時のことを怖いと思っていたに違いありません。

こんな日が来るまで、私は父の存在を疎い、蔑んで生きていました。
仲良く会話した思い出など、あったかどうかも不確かです。
でも確かに、父が倒れる前日。
テレビでは私の大好きなインディーがロードショーをしていて、途中で拉致事件で放送が中断してしまったんです。
「うわーインディーが中断しちゃったよおおお!!」と、父のいたリビングに駆け込むと、父が胡坐をかいて笑ってくれたのです。


なんでこの時、気付いてあげられなかったんだろう。


この時、父の顔を。父の身体を見ていれば、今とは違った未来が生まれたはずなのに。


今更後悔しても遅いのは、分かっています。
でもこれは。
大切な人を失くした人。
大切な人を失くしかけた人誰もが、必ず1度は思うことなのです。
そして、この自問自答は、恐らく己が死ぬまで拭うこともできないでしょう。


父は日曜日になると教会に行っていました。
その教会に持っていく聖書が、私が生まれた時に頂いた聖書で、裏に自分の名前が書いてあることを父の鞄から見つけ、知ったとき、泣き崩れました。

父は、私を愛していないと思っていました。
私が父を愛していないから。
父は私を愛していない。

なぜあの時、そんな思いで生きていたのか・・。

意思からは、このまま目を開ける可能性は低く、植物状態を覚悟してください。と、医師から言われた言葉を泣いている姉から告げられた時、自分の未来はなくなったと思いました。

心理と言うのは本当に不思議なもので、あんなにも嫌っていた相手が、いざ目の前から消えてしまいかけたとき。
こんなにも大きな穴が心に開くとは思いませんでした。


奇跡的にも、翌日父は目を覚まし、私達が会いにくると、必死に左手を伸ばしてくれました。
この時から声は出せない状態だったのですが、いつかまた。
父は回復して、家に帰ってきて。
今度は一緒にご飯食べて・・「水持ってこい」と言われたら持ってくるし。
「旅行に行こう。」と突然言われれば、絶対一緒に旅行に行って・・思い出を作りました。


今、思い出すと、この頃の私は、不思議なことをしていました。
神様に祈りを捧げるなんて嫌だと思いながら、父が倒れる半年くらい前からでしょうか・・。
寝る前は必ず両手を組み合わせ、「いつまでも家族皆が健康に元気よく生きられますように。」と祈り続けていたのです。
結局、その願いは叶いませんでしたが、これは所謂、虫の知らせと言うものだったのかもしれません。


あれから4年。
長い永い4年が経ちました。
これからもきっと、同じ時が過ぎていくと思います。
今は過去の苦しみが嘘の様に、父に偽りなく笑いかけられますし、父と会話が出来るようになりました。
喉に穴を開け、そこから管を通し、食べ物は全て胃に流す形となって、「生きる」形が180度変わった生き方になってしまいましたが、父は・・生きています。

精一杯生きています。

もしもこの日記を読んで下さった方がいれば、お願いがあります。
決して父に同情や哀れみを抱かないでください。
父は誰よりも自分を惨めだ、悲しいと思っています。
でもその思いを、他人に持たれることを非常に嫌う人間です。
ちょっと我儘で、すぐに怒る父ですけど、「大好きだ。」と素直に口にできる立派な人です。
私はそんな父を誇りに思っています。
だからこそ、今の父に同情してほしくないのです。
父は、誰よりも強く、逞しい、最高の父です。
私の自慢の父です。

きっと、皆さんのお父さんには負けませんよ!(笑)


これも一種の介護。と言うものだと思います。
精神的にも経済的にも大変な人生です。
それでも人は、そんな屈強に立たされても尚、明日を生きられます。
苦しい時こそ笑って、空元気な日々を頑張って生きて、乗り越えて、辛い時こそポジティブな考えだぜ。と言う処世術も身につけられました。


人間、やればなんでもできるということを忘れなければ何でもこなせちゃいます!
きっと!(笑)

ネバーギブアップ。(^^)


暗いお話になってしまってすみません。


これからも、私を支えてくれる友人・家族が一緒に生きてくれますように。
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